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なぐりがき

なぐりがきです。過去の舞台と旅の感想を取りまとめ中。

マキちゃんやってみた。-20210916 ダルカラ演劇学校 演じてみよう『丘の上、ねむのき産婦人科』

今期もダルカラ演劇学校に参加してみた。

実はワクチンの副反応で「戯曲を読む会」と翌日の「演じてみよう」の見学は断念せざるを得なく大変ショックだったのだが(先方にもご迷惑をおかけしてしまったし…)、たまたま追加日程のスケジュールがつき、1枠だけ空席があって入れて頂けた次第でした。運営さんに感謝。

仲間探しゲームでウォームアップ
→0場(冒頭、院内のロビーに台詞なしで座っているシーン)やってみる
→配役決めて練習、発表。休憩挟んでもう1回練習と発表
という流れで4時間のワークショップ。

 

ー0場をやってみる―
 冒頭の、院内のロビーに台詞なしで座って待っているところを、参加者が二手に分かれて自由な設定でやってみる。私はたまたま隣に内田さんが座られたので、カップルか親子かなって思い、結局カップルにした。困るくらい落ち着きないのがわかったので、途中から「年下遊び人彼氏を連れてきたけど後悔している」的な設定でひたすらイライラしてた。
 答え合わせしたら、内田さんは「子ども」のつもりだったとのこと。見ていた人からはどちらの認識も指摘があって、面白いなあって思った。言葉を一切使わずとも、演者の配置、動き、身体、目線といった視覚的要素だけでいろんな表現ができる。

(↓↓以下、ネタバレ注意)

ー最初の読み合わせと練習、発表ー
 選んだのは4場「ロンドン・コーリング」。公演でもマキ/マサトを演じていた彩加さんにご指導頂く。自身は女性で、ペアを組んだマサト役は、男性の俳優本業な人。声の出し方などで明らかに慣れている方だとすぐにわかったから、足引っ張るだろうなとは思いつつ、相手役さんの上手なお芝居を味方につけられるように頑張ろうと思った。
 とりあえず一通り読んでみて指摘されたのが「2人とも"愛"がない」。相手方はずっと私を責めてて、私はひたすら困り顔してたのだと思う。私自身の感触ベースでも、マキがこのシーンでどう変わっていくのか全然追えなかった。公演を観てわかっていたつもりだったのに、いざ台詞をひとつひとつ追ってみると、個々の台詞に対する認識の輪郭があまりにふわっとしていることに気付く。
1回目の発表(2人のシーン開始~前半部分)は、(終始困り顔にならないよう)むりやりニコニコしつつ、イライラさせず、早くこの会話が終わってほしいな~みたいなことが出せるようにと思いながらやった。これ、私の顔の筋肉にとって、かつてない重労働だった。マサトが疲れて帰ってきたところの長台詞を聞くのが難しい。聞いて反応するって、演劇学校の別プログラム参加した時から思ってたけど、超絶難しい…。とりあえず最初に指摘を受けた「愛」だけは意識したものの、ここから少しずつ感情が高ぶって最後に持ち込まなきゃいけないのに、エネルギーの変化が全然起こらなかった。

―2回目の練習を経て、発表会ー
 最初(お風呂のスイッチ入れる~洗濯物の件まで)だけミザンスをつけてもらった。本当にできていたのか記憶がない…。ただ、最初はこれをすれば良い、と思えば安心して始められた。しかし台詞を覚えてないせいもあるのだが、自分が言葉を発することに頭の容量を使い過ぎてしまうと、相手の行動や言葉をキャッチできない。「ごめんなさい、洗濯も…」っていうタイミングが上手くいかなかった。 
 そのあとのマサトの台詞がつらくて痛くて本気で怖くて、「ただわかって欲しいの。」あたりはもう足が震えていた。びっくりした。私はマキちゃんはでないのに、心身がマキとして反応している。こんな感覚味わったことがないから、一瞬我に返って動揺し、慌てて集中を元に戻した。私も最初よりマキを深掘りできていたのだろうが、何より相手役が上手く詰めてくれたおかげ。情けなくて、悲しくて、つらさが伝わらないイライラや怒りがあって、でも今の自分にはどうにもできなくて、やるせなくて、変わらず匂いは無理。この場を打開する方法がいよいよわからない。そんな複雑な感情を思いながら、相手の言葉を受け取って反応している私の身体、すごい。このやりとりを重みを持って受けられたから、この後のモノローグ部分しゃべり始めることに違和感がなくなった。
 モノローグは難しくて、全然手に負えなかったけれど、頂いたアドバイスの「閉じこもっていたところからだんだん視野が広がっていくイメージ」と「生理的に無理なものに囲まれているイメージ」(わたしは毛虫ってことにした)は大きな支柱になった。そもそも舞台上であるここは、自宅の部屋であり、つわりが酷いから一人孤独に引きこもっている場所で、自分と似つかないものたちに囲まれている。その認識をきちんと確認したことで、ずっとずっと言いやすくなった。マタニティウェアを脱ぐという行為も違和感なく移行できた。
 一旦ハケてマサトの台詞を別の場所から聞いているのだが、このときかなり脳みそが熱くなっていて、再度出て「ああ嫌いだよ」って言うべきところ、台詞が飛んだ。せっかく(私比)相当勢い良く入ったのに。台本持ってるのに。しばらく言えなかった。(プロンプ入れてもらった。)「これが台詞飛ぶってやつか!!」と、喜ぶべきじゃないんだけど、体感としてこういうことがあるっていうのがわかったのは、なかなか面白い経験だった。焦ったが。大いに焦ったが!!!
 そのあとのパンク愛かますところは素直に楽しかった。さっきまで追い詰められたを逆転させたわけなので…相手方がちゃんと動揺な演技をしてくれててちょっと嬉しかった(ありがたや)。「ストレス全部発散して!」ってアドバイス頂いて、エネルギーぶちまけるのも慣れてないから大変だったけれど、でも詞のところ読んでいたら、さっきまで出てなかった類の声色が自分から出てきて、また動揺した。
 最後のシーンがまた難しくて、でも考えても仕方ないから、これまでやったお芝居の結果どう思うかな~の流れに任せた。マサトに「離れるよ」って言われたらつらかった。「失いたくない」って思った。「好きだって言ってくれた人」で、弱さゆえの依存みたいなこともあるのだろうけど、マサトだけには好いていてほしいという気持ちは変わらず、離したくなかった。そんな感覚を持ってた。最後、彩加さんも何種類か持ってた、みたいなお話をされていた。演劇面白い。

―頂いた感想から思うこと―
 「感動した」とか「2人のバランスが似合っている」とか言ってもらえたのは純粋にうれしかった。不慣れな私のお芝居でも良い所みつけてくれる、温かい環境。
 「ごりごりのパンクスじゃないところがパンクス」「細くてで小柄なので「ロンドン・コーリング」って言ってるのめっちゃ似合ってない。でもその似合ってなさって、周りが判断しちゃいけない。その人が好きなこととか、あなたはこれが似合う。他人が言っちゃいけなくて、その人の好きを突き詰めてほしい。」「異なる性と生を理解する、相互理解」これはさくらさんなどが指摘してくれておおーと思ったやつ。実際、私には全然似合わない役だと思いながらやってた選んだくせに「ごりごりのパンクス」なんて似つかぬと私自身がいちばん思ってた。(実際自分は骨格がかなり薄くて、女子の平均身長はあるのに小さい子って言われることが多い。か弱そうに見られ、大概重い物は持たせてもらえない。そんな人です。)それがむしろ、ひとつの見方をもたらすことに繋がるとは。
 たぶんキャスティングって、戯曲の言葉には表れない余白をひとつ規定する演出要素。演じる人の持つ身体や声あってキャラクターができる。これは、他の人たちの発表を見ても思ったことで、公演で観た時の印象とはちょっと違うキャラクターが見える発表なんかもあって、面白かった。

―発表会感想―
 私はほかの方々の発表を見ている時間が好きで、今回もとても面白かった。本が面白いおかげもあると思うけど、演じ慣れている人もそうでない人も、それぞれのアプローチで本と向き合った結果が見られて楽しい。私と同じような普段は芝居やらない人でもすっごく良いキャラクター作ってこれちゃう人がいる。もはや素のままでできあがっちゃってる場合すらある。お芝居慣れしてる方は、こんな短時間で台詞をものにしていてすごいな、って思うし、それに対する経験者向けのアドバイスも興味深い。
 見た中でいちばん印象に残ったのが、3場「自由」の2回目の発表。「この2人は(まだまだたくさんの障害を乗り越えなきゃいけないけど)きっとうまくいく」と思えた。私が公演で観たときは、あまりそうは思えなかった。同じ本をやってもこんなに違いが出る。この余白が本当に面白い。

―参加し終わって―
今回に限らず、演劇学校行くときは毎度不慣れすぎて緊張する。でも終わった時はいつも、参加して良かった、と申込みした自分を褒めている。初心者にとって「失敗できる安全な場所」はありがたい。演劇学校行く度「自分という人間を取り戻した」ような感覚になる。普通に声出したり身体動かすのが健康に良いってのはもちろんあるだろう。加えて自分の身体や心の反応に嘘をつかずに向き合う過程が、もしかして心身の健康にとても良いんじゃないか、と思っている。しかも先月までその役を演じていた役者さんに教われるって、こんな楽しいことない。観る専の演劇オタクでもみんなこれならやりたい人いっぱいいるんじゃないかな。
 そしてマキちゃんが愛おしい。この劇がますます好きになった。役者さんの役に対する思い入れってこんな感じなのかな。

 もっともっとやりたいって思った。またいつか。

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