共依存の中で変化する主従関係に、ただ震えた。― 20210410,0505ミュージカル「スリル・ミー」
もう日本初演から10年を迎えるらしいこの演目。
チケット取るのが大変そうで避けていたのだが、いつか観る時が来ると思い、ここまで前情報をシャットダウンしてきた。
【脚本・音楽・歌詞】ステファン・ドルギノフ
【翻訳・訳詞】松田直行
【演出】栗山民也
【出演】(観劇回)
私:成河 彼:福士誠治 演奏 落合崇史/朴勝哲
※(未見)※
私:田代万里生/松岡広大
◇観劇日◇
2021/4/10 15時開演
2021/5/5 12時30分開演
高崎芸術劇場 スタジオシアター
◇あらすじ◇
刑務所で行われている仮釈放請求審理会。
「私」はかつて、「彼」とともに、残虐な少年誘拐殺人事件を犯した。
犯罪の動機は「スリルを味わいたかった」から。
果たして動機はそれだけなのか、疑問を隠せない審理官。
そこで34年服役した「私」が、当時を振り返り、事件の真実を明かしていく。
ー以下がっつりネタバレあり―
人気演目だけあって、まず観客が教育されているというか、開演前の静けさ、集中力がすさまじい。こんなに緊張する観劇もなかなか久しぶり。
○内容のこと
予備知識をまったく入れずに観たら、すっかり騙されてしまった。
というのもてっきり、
「私」は狂人化する「彼」に従いながらも、必死で「彼」を”禁じられた森”から共に抜け出そうとする(そして失敗して共に死ぬ)
みたいな話かと思っていた。
だから、「指紋なんか拭き取ってない」「めがねはわざと落とした」「僕を思い通りにしてたつもり?」「僕のこと見直したか」「僕のこと怖くなったか」「これでわかっただろ?僕こそが超人だ」ときて、震えが止まらなかった。サイコパスは「彼」ではなく「私」だったということに。
たとえば序盤の「僕の目を見て!」の無垢で切実な表情なんかを思うと、とてもこんな結末になるなんて、考えやしない。
高崎で2回目を観る時は、成河「私」の変化にずっと注目していたのだけど、結局わからなかった。どこで巻き込まれて、どこから自分の手で動かし始めていたのか。
そして終盤の「99年」のハモリ。「私」にとって行く着くべきところに行き着いたような、「喜び」と表現するのはだいぶ語弊があるが、「ひとつの愛の実り」がそこにあって、味わったことの無い解放感にうるっときてしまった。これまた恐ろしいことで、(このストーリーは極端だけれども)人間、愛のために自分を見失い暴走することはありうる、危うい生き物なんだと思わされる。
○成河/福士ペアのこと
成河は3月末まで世田谷で義経やって飛び跳ね周っていたはずなのに、ほんの1週間程度で様変わり。まさしく俳優というか、もはや化け物。冒頭、54歳から19歳へシーンチェンジした第一声「待ってたよ」を聞いた瞬間に「キター!!!!成河の超人ぷりが発揮される」と心の中でガッツポーズした。大好きな俳優さんなのだが、大好きとか言ってはいけないような、崇める対象、くらいの気持ち。
福士誠治は端正で艶っぽくて、計画している時にネクタイ首に巻くところなんかゾクッとする。1回目のキスシーンで「私」が手を出した瞬間に突き放すドSっぷりとか。挙げればキリがなさそう。
あと唯一スポーツカーのところだけ声が普通の19歳になるからまた恐怖。
2人ののビジュアル、声質、醸し出す雰囲気、すべて相性が良い。身長は、成河がセンター(レベルが1段高い)に上がって、やっと同じくらいの高さなのかな。体格面の第一印象で力の差が「彼」>「私」に見えるからこそ、2人の間の主導権の変化が面白くなる。
○構成/音楽のこと
1h40min.ぶっ通し、時間の行き来があるけれども話の切れるタイミングはなく、ピアノに導かれてストーリーが進行し続ける。私は演劇の一部としてのミュージカルが好きなので、拍手などで途切れることのない演目は好物。
音楽の配置構造(リプライズ?ライトモチーフってこともあるのか?用語が分からない。。。)も絶妙で、楽譜が欲しくなるやつですね。売ってるのかな。
○その他
高崎芸術劇場ってまだ新しいのですね。1年半くらい?知らなかったわけだ・・・。
北関東寄りの民なので、近くはないが遠くもなく(KAATなど行くより楽)、駅近で広々としていて、都内に比べれば密も避けられるし、私にとっては色々好都合な劇場かもしれない。
ついでに、なぜかいろはすの配給があった。