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なぐりがき

なぐりがきです。過去の舞台と旅の感想を取りまとめ中。

個人的な暗闇を、演劇でこじ開けられてしまうなんて ー エブリ・ブリリアント・シング~ありとあらゆるステキなこと~

    芸劇でU-25で観られるし、仕事後で間に合うし、佐藤隆太さんの一人芝居なんて変わった企画だしちょっと覗いてみるか、程度の気持ちでとりあえずチケットをとった作品だった。こんな衝撃を受けるなんて、思ってもみなかった。

【作】EVERY BRILLIANT THING by Duncan Macmillan with Jonny Donahoe
【翻訳・演出】谷賢一
【出演】佐藤隆太

◇観劇日◇
2020/01/30・02/02:東京芸術劇場シアターイース
2020/02/18:名古屋市千種文化小劇場

 生きることがつらくなったお母さんを元気にするために、7歳の少年はステキなものリストを作り始めた。うつを抱えた母との関係に悩みながらも成長し、恋をして、大人になってからもリストを書き続けた彼の物語を、観客とともに紡いでゆく。

 お客さんに配られるカードは「エブリ・ブリリアント・シング」ステキなことリストのひとかけら。番号が読まれたら、その人がその言葉や文章を読み上げることになる。私も1回だけ読んだ。
「スパゲッティミートソース」
「いっただきまーす」って返して頂けた。

 なぜ佐藤隆太さんがキャスティングされたのか、観たら合点がいった。この芝居、観客の警戒心を解きつつ、とはいえシリアスなシーンで場を切り替え引き込まなければいけない。それが見事。すごい。純粋にすごい。どの性別世代にも満遍なく受けそうで、個人としての人当たりの良さと開放性、親しみやすさがある上に、お芝居の実力をきちんと兼ね備えている。しかもひとりで70分(いや開演前のあれこれも考えるともっとか)、数百人を巻き込みながら芝居を前に進めるだけの力。こんなハードルを乗り越えてしまったのが佐藤隆太さんだったのだなあ、と。たまたま最前列と最後列の両方で観られたのだが、どっちで観ていてもすごかった。恐ろしいな、とすら思った。これはとにかく「観てくれ!」としか言いようがなく、地方含めて1か月程度で終わってしまうのがもったいない。

 名古屋のアフタートークで質問をしつつ引き出した谷さんの回答いわく、このお芝居は、自由なようで、しっかり台本に縛られていると。俳優さんは設定を何も与えられずに動けるわけではない。制約、たとえば「どうして?」だけのやりとりで、物語が立ち上がっていく。(ひとりの観客が「どうして?」と役者に返し続けるだけで物語が進行していくシーンがある。)
もともと戯曲を好んで読む方ではなかったけれど、このお芝居とお話を聞き、もしかすると戯曲って読むのすっごい面白いのではないか、という気持ちになっているところ。とりあえず『福島三部作』買った。この戯曲も出版してほしいよね、日本語でね。。。とりあえず英語で頑張って読んでいる。

 

 

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(紙の本が全然届かなくてKindleでも買ってしまった...の図)

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   戯曲の仕掛けがものすごくよくできている、という話をあげたらキリがなさそう。冒頭、愛犬シャーロック・ボーンズの安楽死を見届けるシーン。観客の中から選ばれた獣医が、コートで見立てたシャーロック・ボーンズに注射をする。獣医が最初に注射をしようとすると、「ああそっちじゃない、太ももはこっち」だと指示される。お芝居がナチュラルだったもので初見時はもしかしてアドリブ・・・?とすら思ったのだけれど、台本の指示。一旦緊張をほぐし(毎度客席から笑いが溢れていた)、仕切り直してから「もう一度、厳粛な空気で」とムードを一変させ、そのまま愛犬が死んでいくまでの30秒を体感する。観客が一緒に場面を生きることを提示し、観客にとっては準備運動のような役目。

 そして、四方から様々な声色で「ステキなこと」が聞こえてくるのが、ただただ楽しい。「ステキなこと」は、ありとあらゆる場所と色で存在することを身体で感じている自分がいた。観客を参加させることが作品全体の理にかなっている。これものすごく重要だと思う。(だって無理やり観客参加させて微妙な空気になっているのとか、普通のつまらない舞台を観るよりはるかにつらいでしょ・・・)

 囲み舞台の没入感という点では、照明変化で舞台の空気が直に染み渡るのが心地よい。お母さんとけんかした後の、翌朝の日の出で泣いた。Ray Charlesの「Drown In My Own Tears」(Ray Charles)で、ミラーボールの光を浴びながら彼と一緒にレコードを聴けば、とても心地が良かった。「Why don't "you" !!」そういえば、客入れ時の明かりも、キャンディみたいなポップカラーでとてもかわいい。とくにちくさ座(名古屋)は最高だった。

 内容の感想を端的に言えば、見透かされているような感覚、個人的な感情にこんなにも訴えかけられて、観劇後の感覚はしんどいけど清清しい。別に(少なくとも私は)共感を求めて演劇を観るわけではないので、初見時、意図せずして共感を覚えている自分に驚いてしまった。なぜそんな感覚に陥ってしまったのか、謎の悔しさで、これは作品の構造を知るほかないと、結局3度観た。
 個人的な話をあげてしまうが、私は学生時代に両親の離婚を経験し、その時に少々精神を病んでしまった。今は一応普通の生活を送れているけれど、病院にもお世話になっているし、少々心が不安定な人種になってしまったという自覚がある。「壊れてしまったものがもう二度と元に戻らない苦しさ」とか、「幸せな時間の怖さ」とか、当時そんなことばかり考えていた。「自殺しないで。事態は必ず良くなる。」なんて安易な言葉の説得力、ポジティブな言葉にしがみつくしかなかった感覚が思い出される。
 同じ言葉を使って現実に言い慰められたとしても(ひねくれ者なので)「ああよく言われることよね」で終わってしまうところ。でもなんでだろう、この作品の中で発せられると、共感と安堵とで涙がとまらなかった。こんなにも個人的な奥底の暗闇をこじ開けられた観劇体験は初めてだ。こんな作品、もう二度と出会わないかもしれないし、あってほしくもない。だって怖いもの。でも同時に、どうにか生きてゆくヒントを得たような気もしている。彼はリストで母を救えなかったけれど、自分を保つことができたから。自分は自分自身でしか救えないし、自分なら救える。あのリストの数だけ、彼は苦しみから抜け出そうとした。私もありとあらゆるすてきなことを集めてリストを作ってみれば、どうにか生き抜けるだろうか。

 悔しさから3回みたはずなのに、結局「Into Each Life Some Rain Mast Fall」(Ella Fitzgerald and The Ink spots)を聴いて自動的に涙腺が緩む身体になってしまった。むしろ重症化している。ああ人生は苦しくて愛おしい。

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 演劇はライブだから毎回が唯一無二だけれど、この作品はその最たるもの。隆太さんはアフタートークで「一期一会」と仰っていたが、本当にその通り。だからこそとにかく再演してほしいし、もし再演された際には、何か心に闇を抱えている自覚がある人に、劇場へ足を運んでほしいな。

・・・でもこの作品、初見は予備知識なしで観た方が絶対に良い。未見の人に勧められない記事になってしまった。